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松下耕先生 [歌うことについて]

今日は八ヶ岳合唱フォーラムで「主は羊飼い」「たおやかな歌」を松下先生に教わってきました。

松下先生、世界的にも知られた合唱の作曲者であり、カトリック教徒として宗教曲を手がけ、「三つの詩編」のような曲を書く方なので、真面目で堅い雰囲気の方なのだろうと思い込んで参加しましたが……「ごきぶり五郎伝」を作曲した方でしたw。
声帯模写を交えたトークはもコメディアン顔負けです。びっくりです。とても楽しい練習会でした。
プライヴェートな話もいろいろあったのだけど、一つだけ。大学生らしいお嬢さんの話になったときに、しばらく顔が緩んで元に戻らなかったですね。娘を溺愛しているようです。

さて、曲についての詳細な注意は省き、合唱全体に関わる金言をいくつか。

◎歌曲は歌詞が六割である。歌詞を歌い込め。

◎歌詞は深読みしろ。詩人の考えたことは分からないし、正解はない。歌詞についていっぱいいっぱい考えて、しっくり来るものをそれぞれに選び取れ。
 例として「夕焼け」というよく歌われる曲、「お母さんちょっと来て、お母さん、お母さんきれいな夕焼けだよ」という歌詞の、親子の関係、位置などをどう想像するか。天国の母、姑、そこにいる母、呼びかけている方が小学生、など、さまざまなシチュエーションで、歌わせました。みんないろいろ考えて、本当に変わって、面白かった。自分たちの練習でも取り入れようと思います。

◎日本語の促音は独特で、そこには思いがこもる。促音を大事に歌いたい。

◎伝えようとする気持ちがなければ伝わらない。歌いたい気持ちがなければ良い歌にならない。

◎合唱コンクールに順位を付けるのが嫌いだ。順位にこだわるのもバカらしい。歌にはさまざまな局面があり、上手い下手で優劣を決めるようなものではない。上手いかどうかはどうでも良いことだ。

◎国際合唱祭や国際コンクールを手弁当で開いているのは(開こうとするのは)、歌の世界の幅広さに目を開いて欲しいから。日本は閉鎖的過ぎる。異文化体験のように、いろいろな合唱に触れて欲しい。

今回録音しなかったので、記憶に頼って書いていて、ちょっと違うところもあるかもしれませんが、だいたいこんな感じでした。
共感することばかりですね~




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ブリリアントハーモニー [歌うことについて]

松下先生のブリリアントハーモニー
お手本。少しでも近づけるように。

こういう表情で歌いたい。
さびしいカシノキ
https://www.youtube.com/watch?v=c08Br8Bi_2g

体で表現する例
https://www.youtube.com/watch?v=3jD2yQM_VOo


文化祭講評 [歌うことについて]

2016年甲府市文化祭
お疲れ様でした。録音を聴くといろいろありますが(^0^;)、まあ良かったのではないかと思います。

藤原規生先生の講評です。

〈萠への講評〉立原道造のことば、何て美しいのでしょう。そしてそれを木下牧子さんが託した音はすべてキラキラして、深い精神が宿っています。やはり名曲ですね。柔らかい発語(音色)が皆様の持ち味ですね。ブレスをより深く、丹田への意識を。もっと音が伸びやかになるでしょう。〈君をのせて〉信長さんの色使いのニュアンスがよく伝わります。素敵な演奏でした。

〈全体の講評〉
 下半身が使えていなくて、上半身ばかりで歌っている。丹田に力を込めて。
 最も響きのある音はどんな音か、自分で発声をいろいろと工夫しよう。一音一音、最適な響きで発声できているか、確認してみる、というようなことも大事。さらーっと歌ってしまっている。
 言葉をはとても大事なものだ。美しく、力のある言葉を、若い世代に届けよう。詩に込められた思いをくみ取り、言葉を大切に歌おう。作曲家は詩をもとに、詩を現す絵を描くように曲を作る。その絵をイメージできているか?
 音楽には力がある。大きな力を持っているが、その力を十全に引き出せていない。合唱のことをなにも知らない人を感動させるように歌えれば最高。合唱で歌われる言葉が、衝撃をもって、受け取ってもらえたら最高。

八ヶ岳合唱フォーラム [歌うことについて]

今日は八ヶ岳合唱フォーラムに参加してきた。
木下牧子先生、岸信介先生の指導で、七曲を歌った。
岸先生は相変わらず楽しい指導。木下先生もとてもフランクな方で、解説がおもしろい。
私は詩について少しお話しさせていただいた。
以下、簡単にまとめた。

【木下牧子先生のお話】
 言葉によるフレージング、言葉を立てるということが歌詞のある歌を歌う時には何よりも重要である。
 日本語は難しいと言うが、それは間違いで、ほかの言語を良く知らないため、フレージングがうまくいっていなくても気付かないだけである。その言語のネイティヴスピーカーに聞かせれば、言葉がブチブチ切れている、と言われるであろう。また、日本語は日本の聴衆にも分かるので、審判が厳しくなり、批判されやすい。というわけで、日本語の歌が難しいわけではない。
 私の場合の三連符は三等分ということではない。これで一つに歌うということであり、一つということは円であるということ。「わたし」で三連符であれば、「わたし」が一つとなりくるんと丸まっている、ということである。
 16分音符のつながりなどもそうで、律儀に均等にすれば良いというものではない。言葉の重さで長短がある。そうしたことは歌い手の自由にしても良い(すべてがそうだというわけではないが)。
 私の曲には繰り返しが多いが、同じ言葉や同じ旋律が出てくるたびに変えなければならない。同じように歌うのはアホである(笑)。
 Altoがもっと出てほしい。Altoに愛情を持って書いている(笑)。Altoだけで単体で出るところは、間の手のようであっても、軽く歌わず、しっかりと歌う。

★各曲について
「夢みたものは」高校二年生の時に書いた曲である(ただしメロディーのみ)。作曲を習い始めて、最初に作曲したのは「白いもの」。高校一年の時のことである。家にあった詩集、萩原朔太郎、立原道造、北原白秋の中から詩を選んだ。この頃は立原のことをなにも知らなくて、ロマンチックな感じになった。
「棗のうた」岸田衿子の詩には自分の音楽が付けやすい。詩が深いようでいて意味がないようで、そういう割り切れない魅力がある。同じ曲集の「古い絵」は難しいのだが、良い曲なのでチャレンジしてみて。
「鴎」
三番あるので、それぞれ歌い方を変えて。真ん中がレガート、最後は前へ前へ出る感じとか。オケ版を聞いてもらうと、私のイメージしている「こんな感じ」というのがわかってもらえると思う。
「小譚詩」
物語なので、言葉が聞こえないとどうしようもない。
「風が風を」
多田智満子はすごく好きな詩人だが、あまり歌に出来ない感じ。このほかにもう一曲作ったが、差別語の関係で楽譜にしなかった。これもやはり物語なので、言葉が重要。私の女声合唱曲には珍しい、力強い感じなので、組立のアクセントになると思う。ぜひ歌ってもらいたい。
 
【岸信介先生のお話】
 ふるえる、遅れる、ぶら下がる、という三重苦に陥らないように。ていうか、一つでもダメ。
 発声は体幹がしっかりしていること、深い呼吸、共鳴で成立する。
 足の裏が地面にしっかりと着いている感覚があれば、横隔膜を下げ深い呼吸になっているはず。呼吸が浅くなると、足が地に着かない感じになる。
 音は集めなければならないが、体を硬くしてはダメで、頭のあたりがばーっと開いている感じで響かなければならない。
 体をもっと開いて、声を出すこと。
 表情。目で訴えるのだから、目を見開いて、声を出す。そして怖い顔で歌わない。
 ただ単に音を伸ばす、などということは、ない。前へ歌っていかなければだめ。止まったら音楽ではない。
 出さなければならない子音をよく考えて。拍の頭では母音の音が響かなければならないから、子音はその前に。出だしは特に重要。
 フレーズを長く。棒読みでぶちぶち切れるのはまったくダメ。
 二度の音程はもっと広い。このことを忘れない。
 音は常に和音の中でどの位置を占めているのかということを考えて取ること。
 

昨日の研修 [歌うことについて]

コラニーでの研修にご協力下さったみなさまありがとうございました。
昨日からとても寒く、私のいる長坂では道路に霜が降りて、フロントガラスも真っ白です。
体調など崩されませんように。

さて、昨日の録音では、二種類の録音を無志向性マイクロホンを使用するAB方式のと、単一志向性マイクを使ったXY方式(だと思う、たぶん)で違いを聞き分けるというもの。リバーブをかけ、響きを出しているため、無志向性だと音のずれが目立ってしまい、わさわさした感じがする。単一志向の方がすっきりする。ピアノが入ると、無志向性はピアノとの音のかぶりの感じが良くて、私はこれの方が臨場感があってよいと思ったが、指揮者やコラニーの人は単一性の方がやっぱりすっきりしていて良いという意見だった。
ピアノの演奏は二本のマイクでどれほどリアルに再現できるかというようなものだったと思う(セッティングを見てないのでよくわかってない)。
全体にとてもおもしろく、勉強になったし、歌えて楽しかった。

合唱は混成チームだったので、音色がまったく変わり、とても興味深かった。
いろいろな声の編成で、いろいろな曲を歌う試み、のようなものをやってみたいと思った。
うちの指揮者は、それができるような立場にある人だと思うが、そんなでたらめなことはさすがにしないようだ(笑)。
私は個人的には合唱の可能性とか、広がりのようなものに興味があり、いろいろと変わったことをやってみたいのであるが、実現するのは難しい。こうしたことは、本来プロがやるべきことだからだろう。

あーいろいろな合唱団でちょこちょこっと歌ってみたいな。どうしてそういうフレキシビリティが無いのかしら? ただの趣味なのに。

声量 [歌うことについて]

この春、西尾先生や田中さんが参加なさったオペラで、Sopranoのヒロインはすばらしい声量の方でした。デュエットだと一緒に歌う男性(光君)の声が聞こえてきません。
こうした声量のすばらしさは、もちろん鍛錬もあるでしょうが、才能であると思われます。
声の質というか。音色ももちろんそうですよね。持って生まれた声はどうにもならないです。
できる範囲で努力するしかない。
萠は今、最小人数状態なので、みんなもっと声量があればなあと考えているかと思います。
西尾先生にも、芦澤先生にもうかがいました。
どうすればいいのか?

1 声をどんどん出す。(練習する)
2 息をたくさん流す。

 いっぱい歌うしかないということですね。
 頑張りましょう。
(たま)


 

講評 [歌うことについて]

西尾先生より、お言葉をいただきました。

14人という人数でよくやった。
一番よかったのは信長さんのステージ。八ヶ岳の時よりずっとよい。声も前に出ていた。
次が松下さんのステージ。残念なのは、信長さんのステージほど、声が前に出ていなかったこと。きれいなんだけど、声がまとまっていないというか。全体的に後半の方が声がよく出ていた。それから、速くなる聴かせどころで,言葉が聞こえてこず、曖昧に終わってしまったのはよくなかった。曲を知らない人にはわからないだろうが……。
そしてピアニストがとてもよかった。萠に合っていると思う。合唱とピアノに一体感があった。
三番目がルロイのステージ。今までにない感じで、殻を破ったという気がする。一般の人にはこのステージがいちばん受けただろう。
アカペラはよくなかった。いつも萠はアカペラがよいのに,今年はピアノ曲の方がよかった。
ただ、アンコールの「花」はよかった。

こんな感じでした……西尾先生ありがとうございました。
コンサート前に出来が不安だった順に評価が低い(笑)。そういうものなのですね。
AtoBeさんのくれた名言集に「練習以上のことは出せない」というのがありましたが、まったくその通りだなと。
やっぱり練習あるのみでしょう……

歌への愛情 [歌うことについて]

たまです。
昨日、休み時間に田中さんと話していて、大事なことを聞いたので、書きとめておきます。

歌い慣れてくると、逆に歌が乱暴になってしまうという現象についての話です。
ロビーコンサートの頃のブログにも書きましたが、音が取れてアンサンブルができてきて、さて、さらに曲想を、という段階で、逆に細部への目配りが薄れ、乱暴になってしまうということが起きます。
「歌い慣れ」てきたら、より神経を歌の隅々まで届かせることができそうなものですが、いったいどうしてこういうことが起こるのでしょうか。
新実先生にも言われたことですが、歌への想像力が足りないのではないか私は思うのです。

田中さんは、それはその曲にどれだけ愛情を注いでいるかということだ、と言いました。
愛情!
私たちは、歌の一つ一つを、もっともっと慈しまねばならないのですね。
曲への愛を忘れたら、私たちのような素人の合唱団は、本当に情けないものになってしまうように思います。

合唱団のスタンスはいろいろだと思いますが、愛を忘れぬ合唱団でありたいと、私は考えます。

録音 [歌うことについて]

たまです。
レコーダーを買ったので、昨日の練習を録音してみた。
指揮者はこれを聞いているのか、と愕然(笑)。

何が悪いって……音が取れてない人がいる。
昨日は、ボイトレで脱けたり、早く帰ったりした人がいて、おおむね、233だったでしょ。
この人数だと、一人でも音程が狂うともうパート内で合わなくて、がたがた。
ハーモニーどころではない……。声がそろう以前に音がそろわない。
暗い、下がる、というより、もう間違えてその音を取っているのではないか。
いまだにさぐりながら出る感じで、ピンポイントでその音が出せない。
とにかく、音程を何とかしないと、先へ進めない。
指揮者は曲想をつけてくれているのだから、音の方は、自分たちで何とかしないと。

どういう練習が効果的なのか、みなさんも少し考えてください。

それから、練習はやはり録音すべき。
私が採って、みなさんに配信してもかまわないのだけど……みなさんのPC環境が分からないので(ケータイにはたぶんこういうものは重くて送れないと思う。)

音程のこと [歌うことについて]

音程が悪い、音が下がる、というのを再三注意されました。特にメゾです。
あらあら、いずこも同じ? メゾが下がることには何か意味があるのでしょうか。中音域は、チェンジで出しにくかったりするのでしょうか? あるいは気楽に出せるから地声がまじって下がるのかな。

ともあれ、音程が悪いのは、メゾだけではありません。皆さん悪い。
●下がるところは、皆さん響きの下の方で音を取っていらっしゃる。音が暗いのです。響きの上の方の音を取らねばなりません。
●次の音へのイメージが足りない。下からずり上げたりしたのでは、絶対にもう低くなってしまいます。
●同じ音が続くと、下がるし、一音の中でも下がっていきます。それは支えが足りないのですね。
●それから、声を押すと低くなります。もう四度ぐらい愚痴りましたが、初日、隣に座った方が、それなりの声なのだけど、押した歌い方で、音程が超絶的に乱れまして、大変でした。きれいに出せる時はずっときれいなんですけど、乱れ出すとあっという間に半音ぐらい平気でずれます。とにかく気持ちが悪く、「ああっもうっ」という感じでした。響きで歌わず、押してしまうと、音程は狂います。フォルテで出すと狂いやすいですよね? そういうときは、つまり喉で押してるんですね。狂うと、自分では収拾が付けられない。周りを聞いて合わせて欲しいのだけど、そういう人はたいてい自分の声しか聞いちゃいないのです。
●多人数で歌う、ということは、無理せずにフォルテが作れるということで、押す危険性も低くなるから、音程も安定します。下手に頑張ると、音程は狂うわけです。でも、萠は少人数で……だから、とにかく発声をきちんとして、押した歌い方にしないようにしたいですね。
●新実先生には、うわずったら褒めてあげると言われましたが、だいたい下がるものなんですね。ハイテンションで高音を歌うと、うわずり気味になることがありますが、中音域では下がるのが普通のようです。だから下がってもいいというわけではありませんので……なんとか音程を安定させたいですね。バードの練習は、それにピッタリです。音程を安定させる練習を重ねていきたいと思います。

長くなりました。たまでした。




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